人生は重層的にできている。家庭も職場も大切だが、日々の生活が潤うためにはそれだけでは十分ではないのもまた事実。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。
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ありそうで無かった、新しい空気が流れていた。人間関係に爽やかな風が吹いたように感じた。12月17日に最終回を迎えたドラマ『G線上のあなたと私』(TBS系)は、ありふれた日常の中の「新しい透明な時空間」を見せてくれたドラマだったのではないでしょうか。
主な登場人物は専業主婦の幸恵(松下由樹)、婚約破棄されたアラサーの也映子(波瑠)、男子大学生の理人(中川大志)。主婦・幸恵は、姑と同居し家事に介護にと気の緩む時間もない。夫も浮気し自分を裏切る。一方、失業中の也哉子も進む先が見えず不安にさらされている。そして片思いの恋に破れた不器用な理人。面識の無いその三人が、「バイオリンのお稽古場」で出会い、練習を通してほんわりとした柔らかな関係を作っていく。
自分を縛るものから距離をとる場──それがこのドラマでは「バイオリンのお稽古場」として設定されていました。見ていて思い浮かんだのが「サードプレイス」という言葉です。アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した「サードプレイス」とは、自宅とも職場とも隔離された中間的な空間のこと。
その「サードプレイス」の特徴とは、まず参加者の肩書きが必要ないこと。まっさらな状態で人と人とが出会う場所。それだけでなく、人を「もてなすこと」も要求されない。配慮は必要であっても、ヨイショはいらない。サードプレイスでの会話は協調的で、遊び場的な要素もある。そうした中立的な空間が現代を生き抜いていく人には必要だということを、社会学者オルデンバーグは提唱したのでした。
そう、常に利害関や競争にさらされているのは誰だってキツイ。職場がツライからと言って、すぐに家に帰るのもまた別の意味でキツイ。あるいは、主婦が家庭以外に居場所が無いというのもツライ。ふと立ち寄れる「サードプレイス」が、いかにかけがえの無い場所なのか。ドラマで描かれたバイオリンのお稽古場は「人を浄化する第三の場」でもあったのでしょう。