空前のメダルラッシュとなったアテネ五輪や“冬ソナ”ブームに沸いた2004年。同年にNHK紅白歌合戦の総合司会を務めた元NHKアナウンサー堀尾正明氏が、知られざる紅白の舞台裏を語る。
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NHKのアナウンサーにとって、紅白の司会は入局と同時に胸に抱く目標。地方で経験を積んで東京へ出てきて知名度を築き、任されるまで15~16年はかかる夢の舞台なんです。第55回は紅組を小野文恵、白組を阿部渉の両アナが担当し、総合司会は出番が非常に多い予定だというので年長の僕が担当することになりました。歴代最もしゃべった総合司会だそうです。
最終台本が届くのは紅白の前日です。例年、大晦日の本番へ向け29日から3日にわけてリハーサルが行なわれますが、当時は29日に出演歌手が全員集まる「面接」があったんです。総合司会、紅組、白組、ラジオの司会者が4つのブースに分かれて皆さんと10分ずつ、その年の活動や意気込みを取材します。構成作家も同席していて、“〇〇さんはこんな年でした”など生の声が盛り込まれていきます。
30日に最終台本ができあがると自分の言葉で台詞を練り直します。アナウンサーにはカンペがなかったので、コーナーごとに自分が話すべきことや話したいことをメモにして持ち込みました。受信料不払い運動の渦中で言葉遣いにも随分気を配りましたね。準備に追われて紅白前日は眠った記憶がありません。