戦後の出版文化の賑わいの中にはヌードがあった。昭和の女優ヌードや平成で開花したヘアヌード──時代ごとのヌードを第一線で見てきた石川次郎、鈴木紀夫、元木昌彦の3氏が、日本のヌード写真集、グラビアをどう見てきたのかを語り合った。平成初期を席巻したヘアヌードバブルはなぜ終わったのか?
石川:僕は1994年からテレビ朝日の『トゥナイト2』の司会をやりましたが、当初は「番組で紹介してくれ」とヘアヌード写真集の売り込みが激しくて、スタッフルームには写真集が山と積まれていましたよ。本人が登場するなら、という条件を付けてときどき紹介していました。
鈴木:1994年がヘアヌード写真集のピークで、年間200冊も出たそうですね。その前後に私が手掛けたのは、飯島愛『SHAKIN’』、西川峰子『艶華』などですが、西川峰子以外にも島田陽子『Kir Royal』など、熟女モノも話題になりましたね。
ちなみに、手前味噌になりますが、「熟女」は私が1981年に考えた造語です。ブームの頃は「毛(ヘア)の商人」と言われる有名なコーディネーターもいましたね。女優やタレントを脱ぐように口説いて、出版社に話を持ってくるというね。
石川:加納典明さんが、1995年に作品がわいせつ物にあたるとして逮捕までされたのもブームの頃でしたね。