2005年に誕生した東北楽天イーグルスの初代監督を務めた田尾安志氏(65)。合併した近鉄とオリックスから集まった選手を率いたが、結果は38勝97敗1分の最下位。就任1年目での解任となった。監督としてやり残したことを聞いた。
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戦力が全く整っていない中、97敗でも最高の結果だったと思っています。開幕戦こそエースの岩隈久志で勝ちましたが、2戦目は0対26という歴史的な大敗。その後も連敗が続きました。
当時の楽天は、35歳以上のベテランが17人もいた。長くプロでやってきたプライドと、新球団から“拾われた”という現実がある。彼らのモチベーションも高めながら指揮する必要があり、やはり数字を残した人にチャンスを与えるシンプルなやり方しかなかった。
監督を引き受けた時点で、1年目の結果は覚悟していました。僕のミッションは「プロで戦えるチームを作り上げて、次にバトンを渡す」こと。言葉を換えれば、僕は“プロレベルの最下位”を目指していた。しかし、1年目はそのレベルに達していない最下位でした。
チームの底上げには、少なくとも3年はかかると考えていた。3年でプロレベルの最下位まで持っていき、4年目以降は5位、4位、そしてAクラスへと上がっていくチームになってくれればいい、と。
それだけに、1年目で解任されてしまったのは残念でした。チーム作りのために、現場監督というより、GM的な動きに終始せざるを得なかった。2年目も続けるつもりだったので、当時のソフトバンクの王(貞治)監督や、ロッテのバレンタイン監督らにもトレードの相談など協力をお願いしていました。あと2年やらせてもらえれば、最下位から脱出できるチームにできたという思いが強かった。