正月になり年神様がやってくると、ひとつ年をとる、というのが明治6(1873)年に満年齢が導入されるまで日本での年齢の数え方だった。「数え年」と呼ばれるこの年齢の数え方は、いまでは神社へ厄払いなどのお参りをするときに気にするくらいだろうか。とはいっても、最近では、日本の伝統を大切にしていることを強調するために数え年にこだわる人もいる。評論家の呉智英氏が、「数え年」と「満年齢」の本当の違いについて解説する。
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さて、令和元年に生まれた赤ちゃんも早いものでこの正月には、えーと、まだゼロ歳だよ。満年齢だとそうなる。
改元を目前に控えた二〇一九年三月一日付産経新聞にNHK元アナウンサー鈴木健二のインタビュー記事が載った。彼は数え年主義者だという。それはそれで一つの見識である。しかし、鈴木が数え年を使う理由は、どうか。鈴木は、こう説明する。
「私が『数え年』を使うのも、受精卵がお母さんのおなかの中で着床した瞬間から、命が始まっていると思うからです」「おへそで、お母さんと一生つながっている」「お母さんを大切にし、生まれ故郷を大切にしよう」
生命尊重、親を大切に。これを心に刻むために、胎内の一年を加算して数え年を使うというのである。生命や親を尊ぶのはけっこうだが、それと数え年と何の関係があるのか。母の胎内にいるのは通常九ケ月余り。大晦日に生まれた赤ちゃんはその春に受胎しており、親の恩の一年加算はないはずだ。しかし、一夜明けた元日には、満ゼロ歳(というより満一日)の赤ちゃんは数え二歳になる。
親孝行と数え年には何の関係もないはずだ。だが、産経新聞の寄稿者たる保守系の論者たちは、親孝行の論拠に数え年を持ち出したがる。もう一例挙げよう。