驚異的なスタミナから「ガソリンタンク」の異名をとり、金田正一氏の400勝に次ぐ歴代2位の350勝をあげた米田哲也氏(81)。金田氏が亡くなった今だからこそ話せる大記録への思いを語った。
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カネさんの生前は口が裂けても言えなかったけど、400勝を抜けると思ったことは何度もあります。
そもそも、僕がプロでやれるかもと思ったのは、高校時代に地元・鳥取の米子で阪神-国鉄戦を初めて観戦した時だった。阪神の渡辺省三さんはコントロールはいいけど球が遅いし、カネさんは球は速いけどコントロールが悪かった。正直、これなら僕でもいけると思ったからね。
後で聞いた話だけど、僕が300勝を超えても2桁勝利をあげていた頃から、カネさんも“ヨネは400勝を抜きそうか”と阪急の関係者に探りを入れたり、“ワシを抜くのはヨネしかいない”と気にかけてくれていたそうです。
ただ、330勝を超えた1975年シーズンから、阪急での登板機会が減った。そこで、志願してシーズン中に阪神へトレードで出してもらいました。なぜ阪神かと言うと、39歳まで現役を続けて320勝をあげた小山正明さんが投手コーチだったから。小山さんはベテランの扱いをよく知っている人だった。トレード後は2か月で8勝して、防御率2.53と打たれなかった。小山さんの下ならまだまだやれると思いました。