レバノンに出国した日産の元会長カルロス・ゴーン氏が、日本時間1月10日18時45分(現地時間:同11時45分)ごろから、週刊ポスト・NEWSポストセブン合同取材班の単独インタビューに応じた。会場は、日本時間8日夜に世界各国のメディアを前に共同会見を行ったレバノンの首都・ベイルートにあるレバノンプレスクラブのビルにある、20畳ほどの部屋。
ゴーン氏は、白いYシャツでノーネクタイ、ダークブルーのスーツ姿で部屋に入ってきた。日本メディアのインタビューに応じるとあって身構えているのか、顔がやや上気している。用意されていた椅子に腰掛けると、肘掛けをギュッと握りしめた。
記者が「小菅(東京拘置所)での生活について、具体的に教えてほしい」と聞くと、その手を肘掛けから離し、2日前の会見と同様、大きな身ぶり手ぶりとともにこう話した。
「日本人も知っていると思うが、小菅はとても厳しい拘置所だ。携帯電話も使えないし、シャワーも週に2回しか入れない。自分が求める薬ももらえなかった。
小菅で働いている人たちは、とても良い人たちだった。私に対する扱いもとても良かった。ただ、拘置所での条件は、あまりにも厳しかった。私がテロリストであるかのように扱われていたからだ。それが私にとって一番、理解が難しい部分だった。
中で何度も、何時間も事情聴取を受けてきた。もちろん弁護士がいない中での聴取だった」
──食事はどうだったか?
「そんなに拘置所の食事は悪くなかった。食事についての不満は持っていない。もっとも苦しかったのは、完全に孤独だったこと。夜になると、紙とペンを取り上げられ、毛布は2枚だけでとても寒かった。それと拘置所の中の枕は、選択肢がなく、一つだけしか与えられなかった。冬はとても寒かった。拘置所の中の状況は、非常に過酷だった」