放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、日本の一人芝居の第一人者、イッセー尾形との四半世紀にも及ぶ新春コンサートとその魅力についてお送りする。
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不思議な人である。奇妙奇天烈な男である。曖昧模糊とした俳優である。その癖、その役作りは職人芸を越えた宮大工のような神神しさである。役になりきる一歩手前は“イッセー尾形”。毎年「ラジオビバリー昼ズ」一発目の生放送の日に勝手に色んな楽器をスタジオに持ち込んでは自由に“新春コンサート”をやり、なにごとも無かったかのように帰って行く。こんな事がすでに25年も続いている。押し込み強盗ならぬ、押し込みコンサートである(意外にリスナーには変に喜ばれたりしているからシャクだ)。
ここ数年は楽器の種類もなくなったのか、暮れに毎年、勝手に書いたぶ厚いラジオドラマの脚本が届く。フリートークをやったり歌の時間があったりするから、せいぜいラジオドラマに使える時間は20分だと言ってあるのに、読めば45分もあろうかという台本である。「馬の歩くパッカパカの効果音、お椀で」。などと書いてある。終戦直後のラジオか!? 三谷幸喜の『ラヂオの時間』か。
今年は「古銭形(こぜにがた)平次捕物帖」みたいな時代劇で私が古銭形、女房役が松本明子、干支にちなんでネズミ小僧がイッセーだった。「私のネズミ小僧は良かったんだけど……高田さんがな……。」など私に対しては負けず嫌いなのだ。
デビューからずっと演出家の森田雄三氏と二人三脚で“ひとり芝居”を極めてきたが、森田氏も亡くなり、今は他人とからまなければいけないと、様々なドラマ、映画に積極的に出演して相当いい味。行く現場、行く現場で初めて共演する人も多いので共演者達からもこの年齢になって珍しがられるとか。