1月17日、ミスター・ドラゴンズの異名をとった高木守道氏が急逝した(享年78)。その5日後、都内では昨年10月6日に逝去した金田正一氏(享年86)のお別れの会が催された。高木氏が中日監督を退任した2013年オフ、名球会発足時のメンバーで、現役時代からお互いを認め合ってきた2人が行なった対談をダイジェスト掲載する。
金田:それにしても守道は「寡黙な監督」だったな。なぜじゃ?
高木:これでも多少はマスコミにリップサービスしようと思ってたんですよ。オヤジギャグだって時々披露した(笑い)。まぁ、それでも現役時代から記者に“むっつり右門”と呼ばれてからかわれるほどでしたからね。
金田:現役時代から淡々としていたもんな。
高木:それは長嶋(茂雄)さんの影響です。長嶋さんがオーバーアクションの守備を見せると観客は大喜びするが、僕にはそんなパフォーマンスは似合わない。だから逆に、難しいゴロでも“プロだから普通だ”と顔色ひとつ変えずにプレーしました。
金田:守道のバックトスは芸術品だったな。
高木:バックトスを覚えて送球が早くなり、よりダブルプレーがとれるようになりました。1球ごとに捕手のサインを見て、球種を考えながら守備位置も変えていました。