安倍首相はかつて党首討論で、志位和夫・日本共産党委員長からポツダム宣言の条文について質問され、「まだその部分をつまびらかに読んでおりません」と答弁したことがある。
日頃、目の敵にしている共産党に背中を見せたことがよほど悔しかったのだろう。野党の質問主意書で質されると、こんな閣議決定がなされた。
〈安倍内閣総理大臣は、ポツダム宣言については、当然、読んでいる〉
こうしたやり方で、首相や大臣たちの失言は、訂正されないまま「閣議決定」でどんどん正当化されている。安倍首相や大臣にすれば、国会で追及の矢面に立たされ釈明に追われるより、役人に答弁書をかかせて閣議決定したほうが楽だろう。
だが、「閣議決定」を経た答弁書は政府の統一見解となり、大臣の国会答弁より重い意味を持ち、政府機関の役人はその内容に縛られる。元文部科学官僚の寺脇研・京都造形芸術大学教授が指摘する。
「安倍総理が自衛隊を『わが軍』と呼んでしまった。答弁書でも追認した。だから役人が国民から『自衛隊は軍隊か』と聞かれたら、『国際法上、一般的には軍隊と取り扱われる』と答えることになる。閣議決定ですから。
総理夫人が公人か、私人かの問題も、安倍総理自身が妻は私人だと考えているのだから、そう答弁書にまとめなくてはなりません。それが閣議決定されると、役人は国民から『昭恵さんは公人か私人か』と問われたら、『私人です』と答えねばならないが、それに対して『何で私人に指示されて動いているのか』という問題が出てくる。
森友学園の件でも同様ですが、役人は閣議決定の内容につじつまを合わせるために、資料廃棄といった無理をしなければならなくなる」