アイヌ新法が昨年成立し、4月には国立アイヌ民族博物館がオープンする。アイヌを取り上げた小説や漫画が脚光を浴び、日本における少数民族、先住民族がにわかにクローズアップされている。
だが、私たち日本人は、開拓期の北海道で本当に何があったのか、大国の日露の狭間で翻弄された彼らの歴史を知っているだろうか。厳冬の北海道に閉ざされた彼らの苦難の歩みを、ジャーナリスト・竹中明洋氏が取材した。
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(前編から続く)
◆樺太にあった日本軍の特務機関でスパイとして働いた
樺太で暮らした北方少数民族のウィルタもまた、日露の歴史に翻弄されてきた。
彼らはトナカイを飼育しながら狩猟・漁撈をする先住民族で、現在の人口は300人ほどだという。
六甲山の麓にある兵庫県神戸護国神社に、《大戦殉難 北方異民族慰霊之碑》という石碑が立っている。この北方異民族とはウィルタなど樺太に居住した少数民族を指す。なぜ彼らが戦争で「殉難」したのか。しかも、なぜ遠く離れた神戸に慰霊碑が立つのか。
この石碑を訪ねた後に私が会ったのは、樺太中部の敷香にあった陸軍の特務機関で機関長を務めた扇貞雄の次男である進次郎さんだ。
「私の父は大戦中、ソ連に対する諜報工作のために樺太の少数民族を利用しました。その償いの気持ちから1975年に石碑を建て、毎年4月に慰霊祭をやってきたのです」
特務機関とは、陸軍で諜報や特殊工作、いわゆるスパイ活動をした部門だ。2002年に亡くなった扇貞雄は、スパイ養成機関として知られる陸軍中野学校(東京)の一期生。敷香に着任したのは1943年で、当時はまだ28才だ。それまで上海で工作活動にあたっていた。