就職氷河期(1993-2005年卒)に社会に出た若者たちは、まずは望まない仕事であってもとりあえず働き、転職することでキャリア形成していく道を選んだ人が少なくない。新卒で入った会社で定年まで働くことを想定していた親世代とは、大きく異なる。ところが、2008年から2009年にかけて世界金融危機が起きたことで、その転職によるキャリア形成も困難になった。努力を重ねてきたのに、どうもうまくいかないと鬱屈している彼らを「しくじり世代」と名付けたのは、『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏。今回は、理想的な仕事を求めて転職を繰り返してきた41歳男性についてレポートする。
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「もうアラフォーだってのに、転職のたびに先細りですよ」
貴族のいない貴族と名のついた焼き鳥屋で、清水裕太さん(仮名・41歳)が串を転がす。背が高くカッチリしたスーツ姿、どこか飄々とした優男だ。
「大学は全落ちでした。当時はどんな大学でも昔はそれなりに倍率が高くて落ちる人もいたのに、いまは理解されないんですよねえ」
清水さんは1978年生まれの氷河期世代。ポスト団塊ジュニアにあたる。団塊ジュニアの受験戦争ほどではないが、いまに比べれば厳しいものだったので「全落ち」、つまり受験した大学すべてに不合格ということも珍しくなかった。若い人には信じてもらえないかもしれないが、受験者数は今の倍以上なのに定員は現在より少なかったため、受験者全員が合格する全入の大学など、少なくとも首都圏には存在しなかった。
「ニッコマ(※準難関私立大学とされた日本大学、東洋大学、駒沢大学、専修大学を示す日東駒専のさらに略した呼び方)も大東亜(※中堅私立大学の大東文化大学、東海大学、亜細亜大学、帝京大学、国士舘大学を示す大東亜帝国をさらに略した呼び方)も落ちて、北関東の新設大すら落ちました。親からは大学行く頭じゃないと言われました」
団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアの就職失敗談は「大卒なのに」、というエクスキューズで語られがちだが、1977年度生まれの四年制大学進学率は33.4%。語られることは少ないが、当時の大部分は高卒や専門卒だ。出版社にも私のような高卒アルバイトがたくさんいたし、中小出版社には、大学全落ちでいまではすっかり少なくなった出版専門学校に進学し、アルバイトで入社という連中も多かった。
まあ、それをいちいち誇る人もいないので語られることは少ない。