今回の新型肺炎の蔓延でもわかるように、目に見えない“敵”と最初に対峙するのは、空港や港湾の検疫に従事する検疫官だ。
横浜港に停泊中のクルーズ船の中では、マスクと手袋をつけた厚生労働省横浜検疫所の検疫官らが作業にあたった。2月3日夜から乗員乗客に対して健康状態の聞き取りやサーモグラフィによる体温測定、検体採取などが行なわれ、日本語や英語が話せない乗客に対しては携帯電話のハンズフリー機能を使っての通訳が実施されたといわれる。
こうした検疫作業でも、検疫官が二次感染する恐れは常にある。実際、同クルーズ船で作業を実施した検疫官1人の感染が後日確認され、厚労省が12日に発表した。
チャーター機で多くの日本人とその家族らが帰国した後の武漢にも、在留邦人の一部が残留している。彼らを支えるのは湖北省を管轄する北京の日本大使館だ。
2003年のSARS流行時、北京の日本大使館付の医務官として対応にあたった勝田吉彰医師(関西福祉大学教授)が語る。
「まだSARSの名前もなく、飛沫感染か空気感染かもわからない状況で情報収集にあたりました。マスクやゴーグルなどの防護方法すら確立しておらず、日本から送られたマスクだけを着けて通常業務をこなしました」