2020年はビール業界にとって「激動の一年」となる。東京五輪という商機拡大のビッグチャンスがある一方、10月には酒税法改正が控える。縮小するビール市場を見据え、酒類事業以外の強化、拡大も必須となっている。サッポロホールディングスの尾賀真城(おが・まさき)社長に、勝ち残りの戦略を訊いた。
──このシリーズではまず、平成元年(1989年)当時の仕事を伺います。
尾賀:私は1982年にサッポロビールに入社しました。1988年秋から飲食店など業務用市場の仕事に携わることとなり、当時は東京池袋エリアを担当していました。バブルの時期でしたし、その頃は夜の12時前に家に帰った記憶がないほどでしたね。
振り返ると、当時のビール業界はマーケティングや商品戦略が混乱した時期でもありました。1987年にアサヒビールさんが出した「スーパードライ」が爆発的に売れ、当社も含めて各社が一斉に「〇△ドライ」といった類似商品で追随したのはその最たるものです。
当社ではもっと良いビールをという想いから、1989年2月に主力商品である「黒ラベル」(当時の商品名は「びん生」)の販売を休止し、「サッポロドラフト」を新たに発売しましたが、お客様の想いは違っていた。
取引先の飲食店から「『黒ラベル』がないんだったらウチはもう扱わない」というお叱りをたくさんいただき、私たち業務用市場の担当はヒアリングとお詫び行脚に追われました。当時の経営陣も「これはいかん」ということで、半年後の夏の最大商戦期に「黒ラベル」を販売再開したのですが、現場はてんやわんやの大混乱でした。
それまでブランドはメーカーのものと思っていましたが、決してそうではなく、サッポロの商品を愛してくださっているお客様のものだということを肌で感じた半年間でした。それでも当時はビール市場全体が伸びていたので持ち直すことができた。「スーパードライ」の発売以降も、サッポロの売り上げとシェアは落ちませんでした。
しかし、ビール業界はバブル崩壊後の1994年に大きな転換期を迎えます。この年にビール市場はピークアウトし、年々縮小していく。それまでは飲食店に行けば「とりあえずビール」が当たり前で、我々もずっとそういう感覚で営業をやってきた。しかし、平成の30年間で感覚が変わりました。