2月11日に野村克也さんが84歳で逝去して以降、テレビ各局は特別番組を組み、ニュース番組の中で特集するなどして野村さんの功績を振り返り、故人を偲んでいる。出版界でも追悼本の発売や著作の復刊が予定されており、あらためて野球人としての偉大さがクローズアップされている。野球担当記者が話す。
「名選手が亡くなると、翌日にはスポーツ紙が大々的に取り上げますが、その後も特番が何度も放送されたり、本が何册も発売されたりすることは珍しい。野村さんが野球界に残した足跡が大きかった証拠でしょう」(以下同)
野村さんは1954年、南海に入団。1965年に戦後初の三冠王に輝き、1970年から1977年までは選手兼任監督としてプレー。1973年には『4番・捕手兼監督』として打率3割9厘、28本塁打、96打点を挙げ、チームを優勝に導いた。
「入団した頃はテレビも普及しておらず、1960年代前半には各家庭に行き届くようになったが、パ・リーグの試合はスポーツニュースでも結果を伝える程度。全盛期の映像はあまり残っていない。それでも、テレビが特集を組めるのは1990年代にヤクルトの監督として黄金期を築いたことに加え、“言葉の力”が大きかったからでしょう」
1980年に西武で現役を終えた野村さんはTBSやテレビ朝日の解説者を務め、1990年からヤクルトの監督に就任。45歳で引退した後、政治経済や中国の古典など幅広い分野の本を読み漁ったことで、“言葉”を獲得していったと著書などで述べている。
「野球というスポーツはプレーで観客を魅了するものですが、メディアを通じて発信する言葉にファンが動かされる面も大いにある。野球を通じた人生訓などもそうですし、単純に言っていることが面白いという側面もあった。しかも、50代のヤクルト監督、60代の阪神監督、70代の楽天監督と、年を取れば取るほど、面白さも増していった。何歳になっても人は勉強すれば、進化できると身をもって証明していたからこそ、ファンが付いてきたのではないでしょうか」
楽天監督時代には『マー君、神の子、不思議な子』『バッカじゃなかろうか~、ルンバ』『ノムニーニョ現象』などの名言を生み、テレビのスポーツニュースでは毎晩のように試合後のボヤキ会見が流れた。