映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、中村梅雀が役作りとは何かに気づいたときについて語った言葉をお届けする。
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中村梅雀は一九九一年に所属する劇団・前進座の公演『煙が目にしみる』に主演、文化庁芸術祭賞を受賞して役者としての評価を高めている。
「ジェームス三木先生の脚本・演出の現代劇でした。劇団でやらせてもらったので、親父も一緒に出ますし、先輩たちにも囲まれています。彼らがいろいろ言ってくる。
すると先生が『君の思う通りにやってくれ。気にするな』と。それで周りに反抗しながら自分で作っていきました。
ところが、最初の公演だった大阪の中座での中日を終えたところで新聞評が出まして。『周りはちゃんとしているのに主役が面白くない』って。わざわざ楽屋の前を大声で笑いながら通る先輩もいました。
もう悔しくて悔しくて。第二幕から舞台に出たら、涙が止まらなくなっているんです。それがまた、親父に破門を言い渡されて出ていく場面で。次が幕前芝居で、そこでも涙が止まらない。打ちのめされて、全てを失って、そして大事なものに気づくという芝居でした。
私一人に当たったピンスポットが絞られて、その場が終わった。すると、いつもはなかった拍手が来たんです。びっくりしました。
後から考えると、この主人公と梅雀が重なったんですよ。これが役作りだと気づきました。自分に近づけて燃やさないといけない。どんなに役を作っても、役には近づけないんですよ。そこからですね。音を立てて分かるようになったのは」
九五年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』では吉宗の息子である家重を演じ、広く世間でもその名を知られるようになった。