「『南海の3悪人』に指導者として育てていただいた」──84歳で亡くなった野村克也氏は生前、本誌・週刊ポストのインタビューでよく、そう語っていた。監督として通算1565勝をあげた野村氏が初めて指揮を執ることになったのは1969年オフ。34歳の若さで南海のプレイング・マネージャーに就任した時のことだ。当時を振り返り、「江本(孟紀)、門田(博光)、江夏(豊)。この3悪人が部下になるのを経験したら、あとは誰が部下になっても、少々変わり者だろうが、怖いものはない」と話していた。1969年のドラフト2位で南海に入団した門田博光氏(72)は野村氏のもとでの7年間で開花し、その後も40歳で本塁打王・打点王を獲得して「不惑の大砲」と呼ばれた。門田氏は、テレビ速報で訃報を知ったという。
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最初は同姓同名の別人のことかと思いましたよ。カネさん(金田正一氏)のお別れの会でも元気な姿でしたから、驚きました。
え、江本さんと江夏からも話を聞いた? 悪人ばっかりですやん(苦笑)。野村さんはピッチャーを叱ることはないが、バッターのボクは本当によく怒鳴られました。
〈門田氏は1年目から開幕2番ライトで起用されるが、ケガもあり、年間を通じた活躍はできなかった。2年目は主に3番を打ち、3割、31本塁打、120打点で打点王を獲得した。〉
野村さんはボクを2番バッターに育てたかったようですが、バントの練習をしても全くできない。それで3番になりました。
当時、4番だった野村さんからは「オレの前にランナーで出ればええ」と言われ、大振りすると怒られました。
ボクは体が小さいから全身を使って振って、ホームランを狙っていた。野村さんはそんなボクを見て、巨人とのオープン戦で王(貞治)さんのところに連れていったんです。