そもそも鉄道が誕生したのは、鉱山から採掘物を運ぶためだったとも言われている。日本でもかつては多くの炭鉱や鉱山のために鉄道が敷かれたが、エネルギーの主役が石炭から石油へと移るに従い、それらの鉄道の多くは廃止された。廃止を免れた鉄道のうち、1997年の三池炭鉱閉山後も三井化学専用線として存続していた路線の廃止について、ライターの小川裕夫氏がレポートする。
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幕末から明治にかけて、日本は急速に近代化した。その背景には、鎖国を解き、海外からもたらされる新しい技術を積極的に吸収したことがあげられる。
海外から得た技術は、日本を革命的に発展させた。そうした功績が評価され、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は世界遺産に登録された。
世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の中には、いまだ操業中の遺産もある。それだけに、文化財保護と企業の営利活動の両立という観点から悩ましい問題も発生していた。
世界遺産として認定を受けながらも、現役の施設として一部が稼働していたのが福岡県・熊本県にまたがる三池港および三池鉄道だ。
三井財閥が躍進する原動力になった三池炭鉱は、大牟田市・荒尾市に点在する各炭坑を鉄道で結び、さらに鉄道は三池港へとつながっていた。この鉄道が迅速な運炭を可能にした。こうした港湾と鉄道がセットで整備されたことが、三池の活性化につながる。
三池鉄道は石炭を港まで運炭するための貨物鉄道としての役割が強かったが、炭坑夫たちの通勤列車としても運行されていた。また、炭鉱には鉱夫の家族たちが住む社宅も整備され、社宅に住む家族が日々の生活用品を買いに街へと出かけるために買い出し列車が短い期間ながら運行していた。