放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、お笑いコンビ・フォークダンスDE成子坂の思い出についてお送りする。
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国難コロナの真っ只中、3月3日まで10日間入院していた。ウイルスとは全く関係なく、半年も前からこの期間入る予定(ムショではない)を立て、仕事の段取りもしていた。2012年に不整脈から心肺停止8時間、奇跡の大手術で大復活。その時入れたペースメーカーの交換なのだ。今回は最新式を入れたのでどうやらまたあと9年は生きられるらしい。常に陽気な私でも少しは「命」の事など考えた。
病室にひとり、テレビを点ければ朝から晩までコロナで死者何名のニュース。そんな時、ワイドショーの中で「元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんが昨年11月に亡くなっていました」と流れた。48歳。
実は相方だった村田渚は2006年にくも膜下出血で35歳で亡くなっている。成子坂といっても知らない人がほとんどだろうが、私が大好きなコントだった。ショックではあったが、今年の初め、爆笑問題の太田光からそっと手紙が届いて「高田センセーが愛していた桶田が昨年死んでいた事が分かりました。マスコミ等に出る前に先にお知らせしておこうと思い」とあった。
書き出すと永い話になるのだが、1990年頃新人だった爆問が毒舌で少し売れた後、太田プロのマネージャーが独立を画策、爆問が何も知らない内に悪事発覚。爆問は何も悪くないのに業界から干された。