戦後初となるセンバツ中止──その知らせを受けた代表校の球児たちは人目もはばからず泣きじゃくった。どうにか彼らを救済することはできないものか。
「僕も新しいユニフォームをもらって、泊まる旅館まで決まっていたのに直前で出場できなくなった。選手たちの気持ちは痛いほどよく分かります」
そう語るのは、野球評論家の江本孟紀氏(72)だ。江本氏は高知商業2年生の1964年、秋期四国大会で2年生エースとして活躍。翌年のセンバツ出場が決定していた。
ところが、直前に部員の不祥事が発覚し出場辞退に。1年間の対外試合禁止処分を受け、夏の甲子園にも出場できなかった。
「出場辞退が決まってしばらく放心状態で、野球をやりたいとも思えなかった。だから、今年のセンバツ球児たちには時期をずらしてでも試合をさせてあげたいね。
だけど、6月には地方予選が始まるし、春夏合同も現実には難しいでしょう。秋には来年のセンバツのための秋季大会が始まる。とすれば、球児のスケジュールと会場を確保するには本来ならシーズンオフの冬休みしかない。12月は寒いので、暖かい沖縄でやる案もあるが、球児は甲子園でやりたいでしょうね……。
いずれにしても、球児には今回の件でメソメソしてほしくない。逆境を笑い飛ばして、バネにしてほしい。僕も“甲子園がダメなら神宮の杜でやろう”と大学進学に切り替えたことがプロにつながったと思う」