東京五輪のために、東京都内では様々なものが作り替えられている。そのうちのひとつ、JR原宿駅が新しくなった。木造の尖塔つきの木造屋根に白い外壁が特徴的だった駅舎から、ガラス張りの広々とした新駅になった。旧駅舎はまだあるのでその姿は竹下通りからものぞむことができるが、解体が決まっている。都内最古の木造駅舎だった原宿駅は、解体されてどこへゆくのか、ライターの小川裕夫氏がレポートする。
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高輪ゲートウェイ駅は、3月14日に開業を迎えた。当日は、あいにくの空模様だったが、それにもかかわらず多くのファンが駅に詰めかけた。約半世紀ぶりに誕生した山手線の新駅は大きな注目を浴び、「高輪ゲートウェイ駅」と印字されたきっぷを買い求めようとする人たちが長蛇の列をつくった。
今春は高輪ゲートウェイ駅のように新駅開業という新しい節目を迎える駅もある一方、これまで慣れ親しんだ駅舎がその役目に幕をおろした駅もある。
新駅開業から1週間後となる3月20日には、木造駅舎の原宿駅が役目を終えた。翌日から新駅舎が供用を開始。これまでの原宿駅は、その利用者数に比してホームが1面という狭小な構造だった。
そのため、山手線の内回り・外回りの乗降客がひとつのホームに集中する。多くの人がホームに滞留すれば、利用者がホームから転落する危険性が高まる。それは山手線の運行停止を招く。
定時運行を確保し、安全性を高めるためにホームの増設もしくは拡幅が求められた。原宿駅には正月の明治神宮参拝用の臨時ホームがあり、それを常用化する形で山手線の内回りと外回りのホームを分離。合わせて、駅舎を改築した。こうした経緯で、原宿駅は木造駅舎の供用を停止。新駅舎が原宿の新たな顔になった。
木造駅舎でもある旧原宿駅舎は、1924年に竣工。大正期に竣工した木造駅舎は生き残りが少なく、原宿駅は都内では最古の木造駅舎だった。原宿駅を設計した鉄道省の長谷川肇は2代目・横浜駅も担当している。残念ながら長谷川のデザインした2代目横浜駅舎は関東大震災で倒壊したが、原宿駅舎は震災も戦災もくぐり抜け、1964五輪・バブルといった東京が大改造された時代をも乗り越えた。
そして、老朽化しても現役駅舎として生き抜き、平成の30年間も完走。しかし、ついに新駅舎に役目を譲り渡すことになる。