『ザ・ドリフターズ』のメンバーとして活躍し、昭和から現在までバラエティ界を牽引してきたコメディアンの志村けんさんが3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、死去した。70歳だった。17日に倦怠感を覚え、20日に肺炎と診断され、23日の検査で新型コロナウイルスの陽性と判明していた。志村さんがお笑い界に残した足跡はあまりにも偉大だ。芸能記者が話す。
「1970年代、テレビ界では歌手や俳優の地位が高く、お笑い芸人は低く見られていました。しかし、『ザ・ドリフターズ』が『8時だョ!全員集合』(TBS系)や『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)というバラエティ番組を大ヒットさせ、芸人が市民権を得るようになっていきました。『全員集合』時代から『東村山音頭』や『志村、後ろ、後ろ!』など、志村さんが関わるギャグは子供たちに浸透し、翌日の学校で話題の中心になりました。その後も『アイーン』『変なおじさん』など、子供たちがマネしやすい名作ギャグを次々と生み出しました」(以下同)
ビデオリサーチ社発表の『芸能・バラエティ高世帯視聴率番組』(1977年9月26日以降)では、1位に『8時だヨ!全員集合』(TBS系、1981年2月21日放送)の47.6%、4位に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系、1987年11月21日放送)の36.0%がランクインしている。さらに志村さんは、自らの番組のみならず、他番組の視聴率にも影響を与えていたという。
「フジテレビの月曜夜9時台のドラマが高視聴率を取り、『月9』と呼ばれ始めたのも、夜8時台の『志村けんのだいじょうぶだぁ』が大きく貢献しています。『月9』は1987年4月から始まり、最初は20%台に乗ることはほとんどありませんでした。