新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村けん(享年70)の代表ネタの多くは、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系)から生まれた。
1974年3月、荒井注が脱退し、代わってドリフの“ボーヤ”(付き人)だった当時24歳で最年少の志村がメンバーに昇格。それを機に、『全員集合』は新しい時代に入っていく。
もともとバンドだったドリフにあって、最初からコントを志していた志村はメンバーのなかでも異質な存在だった。当時ドリフの付き人をしていたコメディアンの松田ひろし氏が語る。
「言葉だけでなく、動きや空気感でも笑いが取れる人でした。コントの登場シーンでいえば、いかりや(長介)さんがいて、高木(ブー)さんが遅れて出てきて、仲本(工事)さんが小狡いことをやって、加藤(茶)さんがボケるというのが従来の流れでしたが、最後に志村さんが登場するようになると、それだけで“オチ”になるほど面白いんです。こんな人はいなかった」
コントでのオチ役も徐々に志村が務めるようになっていったが、志村はいかりやに負けず劣らず、ストイックにお笑いの本質を求めた。松田氏は、台本を前に何時間もじっと考え込む志村の姿が印象に残っていると話す。
「メンバーになったといってもやはり新人ですからね。最初は持ちネタも無いし、どうにかキャラ付けをしようと必死でした。東村山音頭もバカ殿様も、悩んで悩み抜いて生み出したネタです。自分はバンド出身ではないからと、楽器の練習も人一倍やっていた。天才ではなく、努力の人でした」