「撮影後にスタッフを連れて、週に1~2回は飲みに出掛けていました。週の飲み代は100万円、年間で5000万円以上は使っていた。馴染みの店では、店員へのチップも欠かさない。ファンだという女性とも気軽に食事に行き、“1回のメシで10万円かかったよ”と大笑いして、楽しそうに話してくれたこともありました。交際もきれいな人で、長くおつきあいした女性と別れるときには、まとまったお金を渡していたようです。スマートな引き際だからか、トラブルはほとんどなかった」(志村さんの知人)
連日、夜の街に繰り出しては、深夜3~4時までハシゴ酒。ザ・ドリフターズに加入して以来の日課となり、40年以上継続していた。前出の知人が打ち明ける。
「あの志村さんのことですから、数十億円の莫大な蓄えがあると思いきや、そこまでたくさんあるわけではないようです。お世話になった人に恩返ししたいという思いで、お金を使い続けていたからなぁ」
◆「鳴き声を聞いていると、私も悲しくなって」
志村さんは、わかっているだけで2つの自宅と、1つの別荘を所有している。1つめは東京・港区にあるマンションで、事務所兼自宅として1981年に購入。2つめは、1987年に土地付きで三鷹市に構えた一戸建て。当時、4億円と報じられた豪邸だ。
別荘は、1997年購入の静岡県熱海市に建つタワーマンション。見晴らしのいい高層階の一室を手にしている。
「現在の価値は当時より下がってはいるでしょう。長年、億単位の年収はあった人ですが、財テクには興味がなかった。不動産と預貯金を合わせても、遺産は10億円ほどじゃないでしょうか」(芸能関係者)
志村さんにしては少ない気もするが、その行方はどうなるのか。
志村さんは生涯、独身を貫き、子供もいない。両親と祖父母も他界されているため、相続人は兄弟に。
志村さんは3人兄弟の末っ子。遺産は2人の兄が分け合うとみられる。兄が弟の遺産を相続するという、考えてもいない状況に知之さんは困惑している。
「あまりにも急だったので、(遺産に関して)一切話せていないんです。普段は年に1回会うぐらいだから、不動産のことも何もわからない。とりあえず準確定申告をしなければいけないので、税理士さんと相談することにしています」(知之さん)