日韓の慰安婦合意に基づく財団が解散となり、慰安婦問題が再び暗礁に乗り上げている。なぜ韓国はいつまでも慰安婦にこだわり続けるのか。その疑問を、韓国国内で抱く人がいる。元米軍慰安婦の女性だ。『韓国人、韓国を叱る』を上梓したジャーナリスト・赤石晋一郎氏がレポートする。
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私が米軍慰安婦だったチャン・ヨンミさん(当時65歳)と出会ったのは2014年春のことだった。チャンさんはソウル郊外の街で一人暮らしをしていた。
チャンさんの人生は壮絶だ。17歳のときに男性経験がないまま、韓国人の業者に騙されるような形で米軍慰安婦という人生を歩むことになった。彼女は取材を始めるや否や、こう吐露した。
「私は30年間、『米軍慰安婦』として働いてきました。その生きてきた過去を振り返ると、あまりにも辛いことばかりで胸が痛い……」
米軍慰安婦とは、在韓米軍基地の周辺の「基地村」と呼ばれる場所で米兵相手に売春をしてきた女性たちのことを指す。韓国政府が1960~1980年代に在韓米軍維持のために、米軍慰安婦を管理してきたことが、2013年11月に韓国国会でも取り上げられ問題となっていた。
2014年6月には米軍慰安婦女性ら122人が、韓国政府に対して国家賠償を求め集団訴訟をソウル中央地裁に起こした。彼女達は韓国政府に慰安婦として厳しく管理され、人権を侵害されたと訴えた。
日本軍慰安婦問題では、韓国政府は「被害者の痛みを癒す責任ある行動を示すべきだ」と主張し、日本政府に対し責任を認め謝罪するよう度々要求をしてきた。
集団訴訟を起こした米軍慰安婦達は、まさに全く同じことを韓国政府に対して要求していたのだ。だが、この問題は韓国社会のタブーであり、大々的に議論されることはなかった。
「私は2歳のときに韓国戦争(朝鮮戦争)で母、父を亡くした孤児でした。里親のもとを転々とし、17歳のときには(基地村のある)梨泰院の食堂で働いていました。
そのときに食堂のおばちゃんに『あなた可愛いから、米軍のクラブで働いたら』と言われたの。でも体を売らないといけないと聞いて『出来ない』と言ったら、おばちゃんから『あなたには家がない。私が死んだらどこに行くの? 私が生きている間にそこに行って働きなさい』と諭されて、行くことになったのです。
クラブには韓国人の支配人がいました。夕方、仕事に行くと、支配人から『出稼ぎに来た以上、脱いでお金を稼がなければならない』と厳しく言われました。
私は男性経験がなかったの。だから、最初の3~4回は、米軍人に呼ばれても『体を売ることは出来ない』と拒否をした。とても怖かった。しかし『それが嫌ならやめろ』と支配人に言われて。私は教育を受けることが出来なかったので読み書きも出来ないし、他に仕事を選べない。お金もないし、行くところもなかったから、売春するしかなかったの。
米軍人から1日に何回も体を求められるという生活が続くのよ。毎日売春するということが、どれだけ辛いことか。でも行きたくない、と言えば怒られる。『今晩、行かなかったらどうなるか覚悟しなさい』と支配人から売春を強要されることも度々でした。仕方なかった」