進級、進学、就職、結婚、出産…同じように見えて人の歩みは十人十色。節目節目でどんな人に出会い、どんな出来事に遭遇したか。そのときに何を思い、いくつかあったはずの選択肢のどれを選んだか――。その岐路で、人生は大きく変わる。曇りのち晴れ。好天人生を送る、市井の人の物語。
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「新型コロナウイルスの感染拡大で、私の会社が主催するセミナーは中止。5月に予定していた故郷・北海道に関するイベントも延期か中止するかどうか協議中です。500人規模のイベントで、1年前から準備を進めていたため痛手もそれなりで、楽観視できない状態がずっと続いています」
そう話すのは四宮(しのみや)琴絵さん(43才、旧姓・木村)。穏やかな口ぶりながらスーツ姿がよく似合う。しなやかな指先は家事仕事よりもパソコン作業の方が向いていそう。
それもそのはず、琴絵さんは、夫の靖隆さん(44才)が社長を務めるIT企業「JOYZO」の取締役として、また現場のシステム・エンジニアとして活躍している、バリバリのキャリアウーマンだ。顧客への説明や提案のため、毎日のように、自ら地方から海外まで飛び回っている。
ビジネスに充実した日々を送る四宮さんの半生を伺おうとすると、こんな言葉が返ってきた。
「私、歌手の卵だった時代もあったんです」(琴絵さん・以下同)
◆民謡、ピアノ、管楽器… 音楽漬けだった学生時代
琴絵さんは、1976年、北海道釧路市で生まれた。消防士の父親(65才)と専業主婦の母親(64才)は高校の先輩と後輩。20才と19才のとき、若くして恋愛結婚し、翌年、琴絵さんを授かった。夏は涼しく、冬は降雪も少なく過ごしやすいという道東の街で、琴絵さんは3才年下の妹とともにすくすくと育った
「歌うことと音楽が大好きな子供でした。幼稚園の頃から民謡の先生だった祖母の家に週1で通い、民謡を習っていました。そういうときの祖母は『おばあちゃん』ではなく、『お師匠さん』でした。
母に頼み込んでピアノも習い始めました。ピアノ教室には怖い先生がいて、怒られないために毎朝1曲練習してから学校に行くのが日課。毎日が“音楽漬け”でした。伯父からは『あの頃の琴絵は、何も言われなくても朝になると、黙ってピアノの蓋を開けて弾いていたよなぁ』っていまだに言われます(笑い)。祖母の民謡教室では、歌のほかに三味線、太鼓、民謡舞踊を学び、小学校では、教室にあるオルガンをいつも弾いていました。音楽の時間も率先して歌い、学級の音楽発表会では、ダンスをしながら歌っていたから、クラスメートや先生たちからは『キムラは本当に音楽が好きなのね』と言われてた。“目立ちたがり屋”と思われてたかも(笑い)」