◆托鉢で「またきやがって」といわれたブッダ
精舎はブッダが生きているあいだ、主な国の都の郊外を中心に少なくとも数か所は作られ、修行者たちの活動の足場になりました。出家行脚という言葉がある通り、サンガのメンバーは雨季(6月~9月)の期間をのぞき、各地の精舎を渡り歩きながら、遍歴の日々をおくりました。
ここで、ブッダとその弟子たちが暮らす精舎の一日のあらましをみておきましょう。
サンガの面々の起床は夜明け前です。目覚めたかれらは口をすすぎ、身支度をととのえて、精舎の近くの町や村へ食を乞いにでかける。いわゆる托鉢です。修行者は各家の戸口に立って、持参した鉢に食物をよそってもらいます。
もちろん、人々のだれもが親切ではないし、いつも歓迎されるとはかぎりません。古い経典のなかには、ブッダの鉢に飯をいれたあと「またきやがって」とイヤ味をいった男の話がでてきます。
ほどこされた食べ物には腐った残飯が混じることもあり、ブッダ自身、出家直後に初めて托鉢の食を口にしたときは、あまりの不味さに「内臓がよじれて嘔吐しそうになった」と回想したという話が伝わっています。
◆食事は日に一度が原則
托鉢のときの修行者は裸足に黄色の修行衣をまとっています。修行衣は糞掃衣(ふんぞうえ)と中国で訳されましたが、べつに便所掃除のためのものではありません。棄てられたボロ切れを継ぎ足して染めた粗衣です。また、塚間衣(ちょうげんえ)と訳された粗衣もあり、こちらは墓場で死体を包んだ衣をはぎとって作ったものでした。要するにぺらぺらの日常衣で、奈良の大仏や鎌倉の大仏(牛久の大仏も)が着ているあの衣を思い浮かべてもらえばよいでしょう。