伝説の歌姫・松田聖子(58)が、この4月でデビュー40周年を迎えた。福岡・久留米から17歳で上京した彼女は、いかに“成功への扉”を開いていったのか──。今春、『1980年の松田聖子』(徳間書店)を上梓した芸能ノンフィクションライター・石田伸也氏が、歌手・松田聖子の真実に迫る。
* * *
松田聖子は単に愛らしいだけのアイドル歌手ではなかった。デビューアルバムが歌謡曲アイドルとしては異例の54万枚も売れたように、その歌声はケタ外れの価値を持つ。2枚目のシングルで初の大ヒット曲となった『青い珊瑚礁』は、初めて聴いたスタッフから喝采が起こった。
「すごいよ、この歌で大ヒットは間違いなしだ!まるでビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』みたいだ」
高音のサビ始まりという新人アイドルには高いハードルであったが、聖子は難なく歌いこなす。聖子を発掘したCBS・ソニーの若松宗雄ディレクターは、「ミス・セブンティーンコンテスト」九州大会で歌声を聴いた衝撃をこう表現する。
〈夏の終わりの嵐が過ぎたあと、どこまでも突き抜けた晴れやかな青空を見た時のような衝撃だった〉
若松は何としても聖子を世に出したいと、2年がかりで奔走した。そしてデビューが決まると、従来の歌謡曲畑ではない作家をこれでもかと投入する。デビューから3作のシングルを作曲したのは、洋楽エッセンスにあふれる新進の小田裕一郎(故人)だった。小田は歌唱レッスンをつけながら、聖子の特性を引き出した。