新型コロナウイルスによる肺炎で3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)を惜しむ声は各方面から上がったが、中でも意外性と思いの深さで驚かされたのは、シンガー・ソングライター山下達郎(67才)だった。山下は、パーソナリティーを務める4月5日のTOKYO FM『サンデー・ソングブック』の中盤で、こう追悼の言葉を述べた。
「先週、志村けんさんの話題を取り上げまして、『ヒゲダンス』とテディ・ペンダーグラスをかけましたら志村けんさん、お亡くなりになってしまいました。誠に残念です」
そして、志村への想いが溢れた。
「戦後日本の最高のコメディアンのお一方でございます。僕が何で志村けんさんが好きかと言いますと、あの方は絶対に文化人になろうとしなかったんです。一コメディアンとしての人生を全うされようと努力しまして。
芸人の方でもいろんな方がいらっしゃいますけども。やっぱり何か先生になっていく方、文化人、知識人の道を歩む方。そういう方もいらっしゃる中で、徹底して志村さんはそういうことを拒否して生きられた方で、僕はそれが本当に尊敬に値すると思いました」
死去直前の前週の放送時から、行きつけの飲み屋が一緒だったことや過去の対談を振り返り、ひとかたならぬ思いを明かしていたが、この日はさらに詳細に“志村愛”を語った。
そして「志村さんの洋楽、リズム・アンド・ブルース好きの一面が現れた作品を1曲」と、「ドリフの早口ことば」をかけると、「このリズムの元がウィルソン・ピケットの1971年全米ソウルチャートナンバーワン、ミリオンセラー『Don’t Knock My Love』」と紹介した。
妻の竹内まりや(65才)と夫婦そろっての大ファンだった。1983年の週刊プレイボーイで、「山下が一番会いたい人」というリクエストで、志村との対談が実現。「ウチのカミさんが『“全員集合”は子供用で“ドリフ大爆笑”は大人用』というので、夜に1人でビデオをつけたら、朝10時まで見ちゃった」と、本人に前のめりに明かしていた。