新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した、志村けんさん(享年70)。未婚を貫き子供をもうけることはなかったが、晩年に「子供への思い」をより強めていたことは、本誌・女性セブンを含めて複数のメディアが報じてきた。その背景には、あまり知られていない過去が影響している。
実は2002年に発売された著書、『変なおじさん【完全版】』(新潮文庫)で、志村さんはある事実を告白している。
《何かの拍子に子供ができちゃった。まだ子供なんかふざけんなっていう時代だったから、どうしようかって困ってしまい、向こうの親にもさんざん怒られた。結局、オヤジの退職金の残りをおふくろから借金して、それで先方に謝りに行ってなんとかおさめてもらった》
これは志村さんが19才、ザ・ドリフターズの付き人時代の出来事だという。当時を知る志村さんの知人が言う。
「そのとき、志村さんは16才の専門学校生と交際していて、初めての同棲生活を送っていたそうです。同棲してすぐに子供を授かったのですが、当時の志村さんの月給は1万5000円ほど。法律的には結婚できる年齢ですが、付き人の生活と給料では育てられないと悩んだ。彼女と相談して諦めたんです。ほどなくして、その女性とも終わってしまってね…。その後、志村さんがこの話題を口にすることはなかった」
24才でザ・ドリフターズの正式メンバーになると、人気が沸騰。多忙な生活を送る中、女性と交際する機会はあったが、長くは続かなかった。コメディアンとして、お茶の間に笑いを届ける“仕事人”に徹した。心境の変化が起きたのは、50才前後だという。