「どんなに売れても副業には手を出さず、ひたすらコントをやり続けた昔気質の芸人。テレビの画面ではあんなに面白いのに、普段はすごくまじめで余計な口をきかない。くだらないことを必死で、一生懸命考えているから表情も暗いんだよ。
でもお笑いのネタを考えるときって、みんな真剣で暗いものなんだ。くだらないことをくだらないと思ってやっても、全然面白くないからね。だけどああやって、いい人から先に逝ってしまうような気がしてしょうがない。こればっかりは運命だと、受け入れるしかないけれど…」
こう寂しそうに語るのは、タレントのモト冬樹(68才)。3月29日に新型コロナウイルス感染による肺炎で亡くなった志村けんさん(享年70)とは、『志村けんはいかがでしょう』(フジテレビ系)など数々の番組で共演した仲だ。
テレビカメラの前に立ち続けた志村さんの死を悼む人は意外なところにも。ミュージシャンの山下達郎(67才)は4月5日放送のTOKYO FM『サンデー・ソングブック』でこう語っている。
《戦後日本の最高のコメディアンのお一方でございます。ぼくがなんで志村けんさんが好きかと言いますと、あのかたは絶対に文化人になろうとしなかったんです。いちコメディアンとしての人生を全うされようと努力されまして。やっぱりなんか先生になっていくかた、文化人、知識人の道を歩むかた、そういうかたもいらっしゃる中で徹底して志村さんはそういうことを拒否して生きられたかたで。ぼくはそれが本当に尊敬に値すると思いました》
芸人のなかの芸人と呼ばれた志村さんの死は、テレビ界に何をもたらすのか。
◆テレビを見ながらテレビを作る
志村さんはテレビが生んだ最後のスターだったと評する声は業界関係者にも多い。民放キー局の40代ドラマプロデューサーが語る。
「現在のようにネットがなく、テレビや映画が娯楽だった時代、ぼくらにとって志村さんは大スターでした。小学生の頃、実家近くの公会堂に『8時だョ!全員集合』(TBS系)の公開放送を見に行き『志村! うしろ! うしろ!』と絶叫したのを覚えています。ドリフのコントは工事現場や学校が舞台で、感情移入しながら楽しく見ることができました。自分の身近にいるようなキャラクターがたくさん出てきて、テレビを囲む人たちと“ああ、こういう人、いるいる”と盛り上がれるのも面白かった」