新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めるべく、人との接触機会を8割減らす施策や呼びかけが続いている。そのさなか、フランツ・カフカの『変身』などとともに不条理文学として知られるアルベール・カミュの『ペスト』が注目を集めている。評論家の呉智英氏が、とかく誤読されがちな『ペスト』が本当に表現していることを読み解く。
* * *
新型コロナ禍が深刻化する中で、不幸中の幸いと言うのも変だが、予期せざる好現象が報道されている。二十世紀の古典、A・カミュの『ペスト』(一九四七年)がよく読まれているという。文庫本ベストセラー第一位にも挙がっている。外出自粛令が発出される中、ただ無為に引きこもるより普段読めない古典をひもとくのは災いを福に転じる契機になるだろう。
『ペスト』好調をいち早く本格的に論じたのは「文學界」五月号の翻訳家鴻巣友季子の評論である。ここで鴻巣は『ペスト』を的確に次のように評価している。
「人類にランダムに襲いかかる致死性のなにか、その不条理さ」を「表現したもの」だ、と。
カミュの作風は「不条理の文学」と呼ばれる。しかし、普段はまず使わない「不条理」という言葉で象徴されることによって、特に日本ではカミュは歪んだ読まれ方をするようになった。カミュの代表作として挙げられるのは、『ペスト』より五年前の『異邦人』であり、主人公ムルソーの異常な言動、すなわち「不条理」な人物による「不条理」な殺人を描いた衝撃作である。これを異常な犯罪による既成秩序の破壊と読む傾向がしばしば見受けられた。
前にも本欄で取り上げた「犯罪者同盟」の平岡正明が、ある読書雑誌のアンケートで『異邦人』を愛読書に挙げているのを読んで、ああ平岡もこれを誤読したのだなと思った。もっと驚き不快になったのは、二〇〇一年の大阪教育大附属池田小学校における児童無差別殺傷事件の犯人宅間守の暴言である。