かつて「女子アナ帝国」と呼ばれ、1980年代から視聴率三冠王を独走したフジテレビ。激動の1980年代、現場にいた関係者はどのように女子アナを採用し、番組に起用していたのか。1963年にフジに入社し、アナウンサーとして同社を支えた露木茂氏が当時を振り返る。今でこそフジテレビも含めた民放各局は正社員としてアナウンサーを採用しているが、当時は契約社員であることが多かった。
「僕の同期の女性アナはみんな4年契約で、その壁を突き破ることが最初の変革でした。
私は部長になった1985年からアナウンサー試験の採用担当を10年ほど務めました。好調な時代でしたが、その間の採用基準は『自分を素直に表現できて、なおかつ親しみが持てるキャラクター』でした。その結果、報道からワイドショー、バラエティへと女子アナの仕事の幅が広がりました。昔のアナウンサーは感情を表に出さず、事実を淡々と伝えるスタイルのため、堅苦しくよそよそしい存在になっていた。我々はそのイメージを壊して、自分自身を画面の中で正直に表現できる人を求めていたんです」
1980年代中頃からは、社内の様々な部署から「女子アナをメインで使いたい」という要望が増加した。
「知名度が上昇し、多くの番組が女子アナを求めてきた。そこで名を上げたのが『ひょうきんアナ』として人気が出た長野智子君ですね。
そしてやはり“三人娘”(河野景子・八木亜希子・有賀さつき)。彼女たちは明るく聡明で、柔軟性があったため色々な番組に対応できた。この頃は採用する側が基準を変えたというより、時代と番組の変化によって受験生の質やタイプが変わってきた」
『ひょうきん族』にディレクターとして参加していた三宅恵介氏も「不可欠な存在だった」と述懐する。