高視聴率を誇ったフジテレビのお化け番組『オレたちひょうきん族』の2代目“ひょうきんアナ”として人気を博した寺田理恵子さんは、アイドルアナとして人気を博す一方で、様々な葛藤も抱えていた。本人が当時を振り返った。
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私が入社した1980年代は、「楽しくなければテレビじゃない」の言葉通り、局全体がエネルギーに満ち溢れていた時代でした。2代目ひょうきんアナになったキッカケは、初代の山村美智子さんが新婚旅行に行く代役で出演してからです。
社会現象にもなった「ひょうきん懺悔室」のコーナーでは、本当に水を被るんです。芸人さんからは「オイシイところ持ってくね」と言われましたが、当時の私は「オイシイ」の意味が分からず、夜中にびしょ濡れになりながら「なぜ水を被ることに? なぜミスした?」と反省し、「私はアナウンサーに向いていないかも」と泣いていました。
横澤彪プロデューサーからも「へたっぴー」と呼ばれ「あなたはアナウンサーなんだから面白いことをしようと思わなくていい。でも良い子ちゃん過ぎる。もうちょっと自分を出しなさい。喜怒哀楽を出していいんだよ」と言われました。
アナウンサーは局の看板を背追っているから言動に気をつけよ。だけどバラエティでは自分を出していい。正直、当時の私にはこのバランス感がまったくわからず、日々、悩みました。