不要不急の外出は控えて新型コロナウイルス感染拡大の防止にご協力くださいと呼びかけられてから1ヶ月が経った。とはいえ、人間は「遊び」がないと生きられない。本来、どのように人が遊ぼうが自由だったはずだが、最近はパチンコに興じることがひどく目の敵にされている。仕事や人生がいまひとつうまくいかないと鬱屈する団塊ジュニアやポスト団塊ジュニアを「しくじり世代」と名付けた『ルポ 京アニを燃やした男』著者の日野百草氏が、今回は、報道やネットでは逆風がうずまくなか、粛々と営業を続ける関東近郊パチンコ店に集う人々についてレポートする。
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「ここあんまり出ないから来ないんだよね、久しぶりに来たわ」
5月3日、友人の富田圭くん(47歳・仮名)の軽自動車で、私は自分の故郷、野田市のパチンコ屋を訪れた。生まれてずっと、何もかも見慣れた景色、理科大校舎も、「野田城」と間違われる某新興宗教団体本部も幼い頃から遊び場だった。
「野田がまさかパチンコで有名になるとはね、南柏は陥落、東松戸と勝負だ」
コロナの中、私はパチンコ屋の取材も続けていたが、取材した先が次々と営業自粛していった。印象的だったのは亀有のパチンコ屋(奇しくも今回の店の系列店)で取っ組み合いに巻き込まれそうになったことと、茨城県と千葉県の県境、境町にある巨大パチンコ屋の要塞のような佇まいであった。両者ともゴールデンウィーク前には臨時休業となったが、千葉県は3店が営業し続けていた、そしてこの前日、富田くんの言う通り、南柏のパチンコ屋が夕方をもって休業、残るは東松戸と、そして我が野田のパチンコ屋のみとなった。
「東松戸のほうは市長が来たらしいけど、市長来たる!ってタレントのパチンコ営業みたいだよな」
茶化す富田くん。東松戸のパチンコ屋には松戸市長が直々に来店、休業要請をした。私は南柏と東松戸は言うことを聞くだろうと読んで、帰省も兼ねて野田のほうを選んだ。出身者として言わせてもらえば、柏市と松戸市はちゃんとした自治体だが、野田市はそうでもないだろう。これは生まれて社会人になるまでこの野田で育った私の読みだ。野田はそういう田舎だ。都心から車で1時間もかからないのに、良くも悪くも昭和の土着文化が色濃く残っている。そしてその読みは残念ながら当たった。
「うわーすげえ、車停めるとこねえべ」
富田くんから野田弁が出る。それくらいに野田のパチンコ屋の駐車場はすし詰めだった。広大な敷地に圧巻の車列、ちなみに野田と言ってもここは上三ケ尾、流山市や柏市、利根川を挟んで茨城県守谷市と隣接する野田の外れである。駅で言うと東武野田線の運河駅だろうか、もちろん遠すぎて歩く人などいないが。野田は関東の田舎に漏れず、基本的に車社会だ。そして3県の12市町に隣接する交通の要衝でもある。すぐ北の茨城県古河市もそうだが、買い物や通学で県境をまたぐことは当たり前の土地柄でもある。