1950年、プロ野球が2リーグに分裂してから今年で70周年を迎える。数え切れないほどのドラマが生まれてきた中でも、1985年の阪神タイガースの日本一は未だに語り継がれ、その後の低迷期も含め、多くのファンの記憶に残っている。阪神はなぜ、栄光の日本一から一気に転落していったのか。ベテラン野球担当記者がトレードやFA補強に注目して分析する。(文中敬称略。年齢はその年の満年齢。名前は当時)
「1985年の優勝は先頭打者の真弓明信、クリーンアップのランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の破壊力が群を抜いていた。これは衆目の一致するところでしょう。それに加え、ベテランの移籍組も要所で活躍していた。
36歳の弘田澄男は前半戦、2番・センターで主軸につなぐ役割を果たし、日本シリーズでも全戦先発出場した。35歳の長崎啓二は右投手の時のスタメンや代打の切り札で欠かせない存在で、西武との日本シリーズでは第6戦で先制の満塁ホームランを放ち、日本一に貢献しました。同じく35歳の永尾泰憲は左の代打としてシーズン打率3割を超えました」(以下同)
弘田は1984年にロッテから藤倉一雅、長崎は1985年に池内豊との交換トレードで、永尾は1982年に近鉄から金銭トレードで阪神に。30代半ばのベテランが最後の一花を咲かせていた。
「1980年代に入ってから、阪神は実績のある選手をトレードで獲得していました。1983年に横浜大洋から野村収が加藤博一との交換で、1984年に南海から山内新一が無償で入団した。2人とも通算100勝以上の投手でしたが、1985年は野村が39歳、山内が38歳と全盛期を過ぎており、1勝ずつに終わりました。ただ、移籍1年目は野村が12勝、山内が7勝と復活しました」