政府の緊急事態宣言が解除されたとしても、新型コロナウイルスが消えてなくなるわけではない。ワクチンや特効薬が開発されるまでの長期間にわたってウイルスとの共生を余儀なくされるなか、従来とは違う生き方の指針や心のよりどころが求められている。その大きなヒントとなるのが、第二次大戦中にユダヤ人強制収容所を体験し、その様子を名著『夜と霧』にまとめたユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクルの考え方だ。
『「首尾一貫感覚」で心を強くする』の著者でヒューマン・ケア科学博士の舟木彩乃氏が解説する。
「強制収容所で自由や人間の尊厳を奪われた生活のなか、フランクルは心理学者として被収容者の様子を描写しました。生き地獄とも言われるほど過酷な状況を乗り越えることができたのは、フランクルの“有意味感”が高かったからと思われます」
有意味感とは、自分の人生や自身に起こることには意味があるという感覚のこと。医療社会学や心理学の研究分野でストレス対処能力として知られる「首尾一貫感覚」のひとつだ。
「首尾一貫感覚は、『有意味感』に加えて、『把握可能感』(=自分の置かれている状況や今後の展開を把握できるという感覚)、『処理可能感』(=自分に降りかかるストレスや障害にも対処できるという感覚)という 3つの感覚から構成されます。なかでもフランクルが高いレベルで身につけた有意味感こそ、首尾一貫感覚のベースとなるものであり、生きていくうえで最も重要な感覚だと思われます」(舟木氏)
通常、人間は「何が起こっているかだいたいわかった(=把握可能感)」「なんとかなるだろう(=処理可能感)」という感じを持てればおおよそのことに対処できる。だが災害や病気などでそれまでの経験値が通用せず、先行きが不透明になって把握可能感や処理可能感が持てない場合、心のよすがとなるのは、「自分の身に起きるどんな出来事にも意味があると感じられる心」(舟木氏)であるという。
もちろん、大きな困難を前にして有意味感を持ち続けることは簡単なことではない。困難の極致ともいえる強制収容所のなかで、苦しみながら生きることに何の意味があるのか──被収容者の抱いたこの難問に、フランクルはどう答えたのだろうか。