TBSはかつて「民放の雄」と呼ばれ、日テレやフジにくらべて報道重視だった。その影響で、1960年代から多くの女子アナを採用していた。その中でも、1964年に入社した宇野淑子さんは、民放キー局で初めて定年まで勤め上げた女子アナとして知られる。宇野さんが女子アナの立場の変化を振り返る。
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私が就職した1960年代には、大学を卒業した女性を受け入れる民間の会社はほとんどなく、放送の世界でも限られた局の、しかもアナウンサー職しかありませんでした。その中にTBSがあったのです。
TBSはラジオのドキュメンタリー『ゆがんだ青春全学連闘士のその後』を聴いたばかりで、憧れの局でした。左翼学生の全学連委員長が、実は右翼団体から資金を受け取っていたという衝撃の内容だったのです。入社試験の面談で「私も世の中の真実を見抜く仕事をしたい」と生意気を言って後悔しましたが、無事合格。懐の深さを感じました。
入社後は報道で通用するアナウンサーになりたいと夢見ましたが、当時は男女の役割分担意識が強く、挫折感に囚われ、しばらくは辛い日々が続きました。
1970年代に入ると、放送の世界に「タレント」と呼ばれる人たちが登場し、女性アナウンサーに試練が訪れます。当時の部長は“男性アナはニュースやスポーツ中継で必要だが、女性はいつでもタレントに替えられる”と言っていました。
瞬く間に退職や異動で女性の先輩がいなくなり、さらにTBSは1969年から8年間、女性を採用していません。私も何度か肩をたたかれたのですが、救ってくれたのは3件の裁判でした。