1960年頃から生放送の一発勝負によるテレビのバラエティ番組で全国を席巻した関西局制作の数々の作品。関西のバラエティには、若手芸人の登竜門としての側面もあった。エポックメイキングとなったのは『ヤングおー!おー!』(1969~1982年、毎日放送)だった。
「月亭八方、林家小染、桂文珍、桂きん枝の『ザ・パンダ』をはじめ、人気者が次々と生まれた。
明石家さんまも駆け出しで、阪神の小林繁の投球フォームの真似をやっていた。島田紳助が暴走族風にパンチパーマと白いつなぎで出ていた」(大阪府在住の会社員・62)
同番組は、1960年代のラジオ番組『ヤングタウン(略称・ヤンタン)』のテレビ版として始まった。
『ヤンタン』と同時期に人気を誇ったABCラジオ『ABCヤングリクエスト』でパーソナリティを務めた、元朝日放送の看板アナウンサー・長沢彰彦氏(73)が語る。
「当時はフォークソングブームで、受験生がみんな深夜ラジオを聞いていた。『ヤンリク』は勉強の邪魔にならないように歌をかけたが、『ヤンタン』は芸人が話芸で番組を進行させた。この違いから『ヤングおー!おー!』が生まれ、それまで松竹芸能中心だった上方芸能は、吉本興業を中心とする流れに変わった」