「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち克った証として、完全な形で開催する」(安倍晋三首相)
「安全な東京五輪は可能だが、容易ではない」(WHO・世界保健機関)
「東京五輪を再度延期する『プランB』はない。2021年の開催が無理ならば中止する」(IOC・国際オリンピック委員会)
1年延期、それが無理ならば中止する──刻一刻と変化する新型コロナウイルスの感染状況を受け、世界的なスポーツの祭典も苦渋の選択を迫られた。
ウイルスという、どんなに練習を積んでも、どこまで体を鍛えても決してコントロールすることはできないものに侵食され、4年に1度、あるいは一生に一度の晴れ舞台が大きく後ろ倒しになった。最悪のケースでは開催すら危ぶまれる状況で、五つの輪をめざして走り続けてきたアスリートは突然途切れてしまった滑走路の前に立って何を考え、日々をどう生きているのか。
◆マラソンの40km地点で「ゴールをあと10km延ばす」と言われるようなもの
「1年の延期」──そもそもこの事実は選手たちにとって何を意味するのだろうか。スポーツライターの玉木正之さんが指摘する。
「ある五輪経験者は、マラソンを走っていてようやく40km地点まで来たところで、『ゴールを10km延ばしてください』と言われるようなものだと話していました。やっと終わりが見えてきて、ラストスパートをかけ始めるなかで、急に距離が延びる。想像を絶する苦しさです」
東京五輪をめざして何年も歯を食いしばり、あと4か月あまりに迫った時点で突然、延期したことを実際のアスリートはどう受け止めたのか。
「“オリンピックって延期になるもんなんだ”とまずは驚きました」
そう語るのは、フェンシングの三宅諒選手(29才)。2012年のロンドン五輪男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した三宅選手は、東京五輪に出場するための選考試合の準備を重ねるさなかに、延期決定の知らせを受けた。