高校球児にとって、夏の甲子園が中止になったショックは計り知れない。憧れの甲子園スターになるチャンスは失われてしまった。そんな今だからこそ、実際にその座を掴んだ元スター球児たちに聞いてみたい。もし甲子園がなかったら、あなたの人生はどうなっていましたか──。
満州生まれの板東英二氏(80)は、苦労して戦後を生き抜いた世代である。
「中学時代は実家が貧乏でグローブやスパイクを買えず、野球ができませんでした。それでも偶然、野球部に欠員が出て入部を許され、地肩の強さが認められてレギュラーになった。当時は自給自足でウサギに石を投げて捕まえていたから、スピードもコントロールもあったんです。本当は高校も普通校に進学するはずが徳島商から学費免除でスカウトされて、親が勝手に入学を決めました」
徳島商の野球部では年中無休のキツい練習に苦しんだが、今で言う特待生だったため、退部できなかった。猛練習の甲斐あって1958年夏の甲子園で大会通算83奪三振の金字塔を打ち立てたが、意外にも本人は冷めていた。
「当時はどれくらい騒がれていたかも分からず、マスコミが宿舎に押し寄た時は、恐くてトイレに隠れていました。体が小さかったこともあって、どれだけ三振の記録を作ってもプロに入ろうとは考えもせず、野球で大学に入れるとの噂を聞いて喜んでいました。ところが甲子園の活躍で跳ね上がった契約金に心が揺らいだ父親がプロ入りの話を進めたんです」