新型コロナウイルス感染症の延期により1年延期された東京五輪。延期の余波が続くなか、アスリートが声を揃えるのは「中止じゃなくてよかった」ということだ。
過去には、日本人選手が参加の道を完全に断たれた五輪大会があった。
1980年のモスクワ五輪だ。ソ連のアフガニスタンへの軍事侵攻に抗議して、米国のカーター大統領が西側諸国にボイコットを呼びかけた。日本はこの呼びかけに追随し、代表として内定していた選手は五輪に参加できなかった。
当時、柔道65kg級日本代表だった柏崎克彦さん(68才)は寝技のスペシャリストとして知られ、「金メダル確実」の呼び声が高かった。
日本のボイコットが正式に決まったのは奇しくも五輪代表を決める全日本体重別選手権の前日。参加できない五輪の代表を決めるために出場し、見事優勝を果たすも、湧いてきたのは虚しさだった。
「試合に出るまでは勝つことしか考えていなかった。ですが優勝して初めて“この野郎!”という感情が湧いたけれど、上げた拳の下ろし先がわからなかった。侵攻したソ連が悪いのか、ボイコットを提案したアメリカが悪いのか、それに乗った日本が悪いのか、いろいろな事情が複雑に絡み合いすぎていて、どこに怒りをぶつけたらいいかわからず、虚しさだけが残りました。それはいまの新型コロナでも同じではないでしょうか。
私の場合、あの後しばらくは気持ちを立て直せず、柔道着を着ずに稽古をしてみたりもしました。そうするうちに、『五輪には出られなかったけれど、柔道の覇者はおれだと証明したい』と考えるようになり、1年後の世界選手権での優勝をめざして再びトレーニングに励みました」(柏崎さん)