待望の開幕まで1ヶ月あまりとなったJリーグに激震が走った。7月4日のJ1再開を目指して、6月1日に2ヶ月ぶりの全体練習を再開した名古屋グランパスエイトだったが、翌2日夜にはオンライン会議システム「Zoom」で緊急会見を開き、元日本代表のFW金崎夢生(31)が新型コロナウイルスに感染したと発表した。
会見した小西工己社長は、「万全の態勢でコロナ対策をやってきたつもりだが、このような状況になってしまった。クラブトップとして責任を感じている」とチームの活動休止を示した。
SNSなどネット上では「愛知県で3日ぶりの感染が金崎ってマジですか」、「さすが、持ってない」といった感想が並んだが、これらのコメントはこれまでの彼のサッカー人生と無関係ではない。
1989年生まれの金崎は2007年、大分トリニータでプロのキャリアを始め、アタッカーとしての高い能力を認められ2009年には代表にも招集された。2010年には名古屋に移籍しリーグ制覇に貢献するなど、充実の3シーズンを過ごし、その後、ドイツ、ポルトガルと欧州でのプレーも経験する。2015年には鹿島でJリーグ復帰を果たし、翌2016年のリーグ優勝、クラブW杯準優勝の原動力となった。
その一方で、鹿島時代にはリーグ戦で途中交代を命じられると、ピッチアウト直後、ベンチ前でねぎらいの握手を求めた当時の監督・石井正忠氏の手を振り払うように避け、「なんで(交代が)オレなんだ!」と激昂するなどの騒動も引き起こした。
これは一部で“金崎事件”と呼ばれ、時の代表監督・ハリルホジッチ氏も「日本代表の候補であった選手があのような態度を取ってはいけない。彼の態度は私にとって受け入れがたいもの」と、その振る舞いをバッサリ。代表追放宣言として報じられた。
また、2018年のシーズン途中には「新しいチャレンジをしたい」とサガン鳥栖への移籍を決めた。同時期に加入した元スペイン代表で世界的ストライカー、フェルナンド・トーレスと共闘できるのも金崎の決断を後押した格好だったが、大型補強で上位進出を図ったチームはまさかの降格争いを演じてしまう。最終的には14位。金崎自身のゴールも3点にとどまった。
巻き返しを狙う昨シーズンは7ゴールを挙げてチーム得点王となるが、順位は15位で降格を逃れるのが精一杯だった。さらに鳥栖加入直後から「彼を活かせれば、チームはより良くなる」と繰り返してきた相棒のトーレスが引退を決めてしまうなど、自身のパフォーマンスとチームの結果がどこか噛み合わない近年だ。