大ヒット曲を生み出すと、人生が一変する。それによって、大きな失敗も引き寄せてしまうこともある。それらを経験したからこそ今があると話すのは、1978年のヒット曲『夢想花』を作詞作曲し、歌った円広志。一度聞くと忘れられない「とんで」を9回繰り返す『夢想花』が生まれ、売れなくなって堕落した経験について円が振り返る。
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大学時代に結成したバンドが大阪で結構人気があったんですが、メンバーの就職などで解散を余儀なくされ、もう音楽ができなくなると思うと辛かった。その心の叫びを形にしたのが「とんで」が繰り返される『夢想花』でした。曲ができた瞬間「売れる、金になる」と直感しました。今までにない曲でしたから。
デモテープをヤマハの人に聴いてもらうと「面白いからポプコンに出ろ」と勧められ、ポプコンと世界歌謡祭でグランプリを獲り、レコードデビューしたんです。当時すでに結婚していた嫁に仕事をやめさせて一緒に上京しました。
『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの歌番組に出まくり、取材日には1日8社のインタビューを受けました。調子に乗りましたよ、大スターになったみたいに(笑い)。でも、2曲目以降が売れず、3か月でみんなの前から消えました。
円広志という人間に魅力がなかった。だから曲に力がないと売れない。ただそれだけの話ですよ。売れなくなってから夜遊びを覚えました。何しろ金と時間はたっぷりありましたから。昼過ぎに起きてパチンコに行き、夜から朝まで飲む。1年ちょっとで2000万円ぐらい飲んだんじゃないですか。堕落していくのは分かっているんですが、落ちていく感覚が快楽でした。3年ぐらい経ち、金も底を突き、仕事もすべてなくなり、大阪に戻りました。それでも文句を言わない嫁に助けられました。