高校球児にとって、夏の甲子園が中止になったショックは計り知れない。そんな今だからこそ、実際にその座を掴んだ元スター球児に聞いてみた。もし甲子園がなかったら、あなたの人生はどうなっていましたか──。
「子供の頃から私には野球しかなく、目指すのは甲子園のみでした。プロはまったく眼中にありませんでした」
そう語る土屋正勝氏(63)の運命を変えたのは、1973年夏の甲子園だった。
銚子商(千葉)は2回戦で作新学院(栃木)と対戦。相手のマウンドには、「甲子園の怪物」と称された江川卓がいた。
試合は両エースの投げ合いで進み、延長12回裏、江川の押し出し四球で銚子商が劇的なサヨナラ勝ちを収めた。この名勝負が呼び水となり、土屋氏は1974年ドラフトで中日から1位指名された。
「私の場合、江川さんに投げ勝ったオマケで指名されたようなもの。甲子園の作新学院戦で人生が変わりました」
作新学院戦の勝利によって全国からの招待試合が激増し、フル稼働せざるを得なかった。この時期の肩の酷使がたたり、11年間のプロ生活は8勝22敗4セーブに終わった。
あの夏の甲子園で変わったのは自分の人生だけではなかったと土屋氏は振り返る。