放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、東京っ子として応援したい呑み屋街についてお送りする。
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私が二十歳の頃、ひたすら読みまくった浅草生まれの“江戸っ子直木賞作家”安藤鶴夫でさえ、こう書いた。「“芝で生まれて神田で育ち”、これこそが生粋の江戸っ子なんだろう」と。私の父も浅草だが、芝に生まれなきゃいけないのか。フーテンの寅さんなぞ「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」。昔は葛飾あたりは下町とも江戸っ子とも言わなかった。戦後の東京文化はやはり“山の手”だろう。江戸っ子とはあまり呼ばれないが山の手の子で“のてっこ”である。
山の手の作家で代表的な人といえば向田邦子。向田は現在の世田谷区若林に生まれ、父の転勤で各地に住んだが、育ったのは目黒の祐天寺、学校が麻布で今住んでるのが青山といろんなところに書き、江戸っ子ではなくて“東京っ子”を前面に出す。
この伝でいけば私だって“てやんでい”な東京っ子。渋谷は富ヶ谷に生まれ、世田谷(千歳船橋)で育ち、社会に出て西新宿に住んでとことん働き、今は麹町に住んで三十年近く、ゆっくりのんびり老いてゆく。コロナにいじめられるこの東京だが、根っからの東京人だから東京が好きなのだ。