お笑い芸人のメジャー化に貢献した『花王名人劇場』などお化け番組を数多く手掛けてきた澤田隆治氏(87)。1980年代の「漫才ブーム」の仕掛人が、当時の舞台裏を振り返る。
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あの漫才ブームはたまたま。狙ったものではなく、関西テレビ(フジテレビ系)の『花王名人劇場』がゴールデンで視聴率を取ったことがきっかけでした。それまでは昼間のソフトだった演芸が、ゴールデン、それも日曜日の夜9時での成功。放送関係者に与えた衝撃は大きかった。
あの時間帯は激戦でした。NHKの『日曜スペシャル』をはじめ、TBSの『日曜劇場』や日本テレビの『桃太郎侍』が高視聴率をあげるなか、フジテレビだけが弱かった時間帯だった。フジは連続ドラマをやっていたが、どうやっても視聴率が取れず、そこでバラエティ番組を提案した。スポンサーの花王はOKを出してくれたが、ドラマへの想いが強い関西テレビが納得しない。
そこで『花王名人劇場』として森光子や山田五十鈴を起用したが、それでも視聴率が取れなかった。半年で打ち切りと見られていたが、番組の名付け親だった花王の専務から「いつになればお笑いをやるんだ」と聞かれ、年明け早々、番組に漫才を取り入れた。
当初はベテランを使うつもりだったが思い切って若手を起用しました。当時、関西では横山やすし・西川きよし、東京では星セント・ルイスが頭ひとつ抜けていた。残り一組に東京へ移ったばかりの新人・B&Bを抜擢。この3組に漫才を1時間やらせました。