確かに、みな自分ごとでないことにはひどく道徳的だった。私はオーディションでやっと掴んだ舞台が中止になった駆け出しの女優を知っている。決まっていた転職先がパーになった後輩もいる。世間も同情してはくれないし、結果的に国もたいしたことはしてくれなかった。すべて国民を助けられるわけがないだろうと為政者きどりで吠え散らかすネット民もいたが、当事者からすれば納得できないだろう。それでいてネット民も自分ごとには泣き言をつぶやいていたりするのだから人とは勝手な生き物だ。そんな「納得できない」名無しの人々が溢れた果てにSNSは暴走した。それはいつも不機嫌で嘲りと攻撃ばかりの修羅であった。リアルで暴れない代わりに、匿名で弱い者を生贄にした。これも記憶に新しい。
「高校野球は3年間だけ、それは二度と経験できないんです。これはやった者にしかわかりません。高校で終えた者にしかわかりません。息子はそれすらないんです」
普通のお父さんである山倉さん、言っていることが走りぎみなのは仕方がないだろう。当事者、ましてや親とはそういうものだし、こんなに息子を思ってくれているお父さんを持つ息子さんが羨ましい。
「すいません、なんだか代わりに試合やるからいいだろで、みんな納得してるみたいな風潮だったから言いたかったんです」
山倉さんはそう言って長身を何度も折り曲げる。言葉は強いが腰の低い人だ。
「親ばかの愚痴ですいませんでした」
いやいや、これはこれで問題提起にはなっているし意味がある。甲子園中止の問題は我々日本人に問われる黄金律の問題でもある。夏の高校野球は山倉さんには悪いが高野連もこの対応で精一杯だろう。しかしこれで終わるだろうか、以前として感染者、とくに東京の感染者は連日絶えることがない。第2波を危惧する。その結果、例えば「箱根駅伝」はどうなるのだろうか。
「ああ、私の知り合いの息子さんがこの近くの大学で駅伝やってるけど、彼も不安みたいです。そりゃそうですよね、あの大学なんて駅伝しか取り柄がないわけで」
千葉にある某大学のことだろう。私も地元なのでOBは知っている。野球同様、こうして少子化を乗り切るために駅伝で名を売るマイナー私大もある。それはそれで私学は営利目的、選手も早稲田のような名門に行くよりはチャンスがある。偏差値だけではない価値観だ。しかしそれも大会そのものが無くなってしまっては元も子もない。実際、全日本大学駅伝は各地の予選が中止された。関東学連は昨年12月までの記録を予選の代わりにするという。箱根が予選会すら開けないことになったら大変なこととなる。ましてや本選が中止になったら――。
「息子の話ばかりしてしまいましたが、そうなったらその子たちもかわいそうです。本人たちにしてみたら絶望しかありません」
一生懸命部活に取り組んで、挫折したからこその山倉さんの言葉は重い。