日本の敗戦、ロシアの意を受けたモンゴル人民共和国の思惑、中国の国共内戦など、歴史のめまぐるしい変動によって、徳王も内モンゴルも政治の激しい嵐に翻弄され続けた。とはいえ、まがりなりにも日本に認めさせた内モンゴルの自治権を共産党は無視できなかった。
著者は、内モンゴルの民族運動の各段階で近代的な思想と知識に触れたモンゴル人知識青年の役割を重視する。彼らの多くは日本を留学先として選んだが、これは奇しくも現代日本のモンゴル人留学生の状況と一致しているというのだ。日本と日本人が内モンゴルの経済や文化に対して、何がしかであれ貢献できたとすれば喜びこれにすぐるものはない。
※週刊ポスト2020年7月3日号