1980年代の漫才ブームを牽引した元B&Bの島田洋七(70)が、ツービート時代の親友・ビートたけし(73)と豪遊した破天荒な時代とその後の栄枯盛衰を振り返る。
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1980年に漫才ブームが始まる前年、大阪から東京へ進出しました。東京に腰を据えたら全国区になれるんちゃうやろかと、吉本興業を辞めて東京に引っ越したんです。
その直後にスタートしたのが『花王名人劇場』(フジテレビ系)。大阪でも前例がなかった日曜日ゴールデンの「漫才番組」でした。横山やすし・西川きよし、星セント・ルイス、そしてB&Bの3組がコマーシャル抜きのぶっ通しで漫才をした。僕たちだけが新人でしたが、負けないくらいウケましたよ。
驚いたのは放送翌日に花王のシャンプーのコマーシャルの話が来たこと! 通常はアイドルの仕事やからね。僕らでいいのかと思ったもんね。
東京に進出した直後は15万円の固定給だったが、1年後に事務所が歩合にしてくれた。当時の給料は振り込みじゃなくて現金で、最初にもらった月給が504万円だったのにはビックリしました。
その後も仕事はどんどん増えて、最高でレギュラーが週に19本。給料も右肩上がりで、出版社の編集者に誘われて初めての銀座も経験した。